ホーチミンにある「戦争証跡博物館」に行ってきました。
さすがに観光地なだけあって、1月1日でも開館していました。
今年2015年はベトナムが統一されて40周年にあたる年。
なので、街中のあちこちで「40」と掲げられたモニュメントが設置されていました。
敷地の入口から見るとこんな感じの建物。
とても立派な建物です。
当時押収されたアメリカのものも・・・
ヘリコプターや戦車、トラックや航空機など建物の入口付近に展示されています。
アメリカ軍のマークの星形が入っているのが、おわかりになりますでしょうか?
以前、アメリカで軍の施設に入れてもらえた時にはこのマークを見て「トップガンだ〜〜」なんてのんきな事を言ってちょっとテンションが上がった事がありましたが、さすがにここではリアルすぎて言葉も出ませんでした。
だって・・・。こんなにボロボロで鉄板で出来ているところがベッコリへこんでいるってことは、使われていた証拠。
戦っていた証なんですよ。そして、これらの戦車で攻撃し、攻撃されて死んで行った人たちがいるんですよね。
飛行機。右側はF-5戦闘機というらしい。
(多分展示中に塗り直しはされているみたいです)
実際に南ベトナム(ホーチミン)がアメリカの拠点だったので、こんなものも残っているんだと思います。
そして、この施設に来て驚きました。
日本とベトナムとの結びつき。
建物の前にあるベンチには日本人の名前などが掘られていました。
きっと寄付をした方なのかもしれません。
ここには「山口経済同友会」と書かれています。
その向こう側には福岡県の吉田さんという個人のお名前が。
建物に入るとたくさんの資料を見ることが出来ます。
3階建ての建物に展示されています。
館内の撮影がOKだったので、一部掲載します。
ガスマスク。ただ、爆弾などで破壊されただけでなく、ベトナム戦争では「枯れ葉剤」を多く使ったことによってあとあとまで被害が出てしまった原因でした。
中央から南にかけてのベトナムの地図。
どのくらい攻撃をうけたかがわかります。
この状況を伝えるべく命を張った報道カメラマンたちがいた
この写真、日本人なら見た事のある方も多いでしょう。
確か教科書か何かに掲載されていたような気がします。
この写真は、なんと日本の報道カメラマン「澤田教一氏」の写真だったんです。
ベトナム戦争に、日本人の報道カメラマンがいたんですよ。
(その他大勢の報道カメラマンが戦地に入っていたようです)
wikiで調べたところ、34歳の時にプノンペンで攻撃に合い亡くなったそうです。
ここ最近、戦地や紛争地へ行って捕まって・・・という事が問題にされていますが、どの時代にもこういう方たちが命を張って仕事することによって、後世まで本当の姿が残せるということも私たちは忘れてはいけないと思いました。
多分、ここの博物館に来て、気分を悪くして帰る方もいらっしゃるかもしれません。
だけど、その気分が悪くなるようなことが現実に起きたということ。
そして、枯れ葉剤の影響がまだ出ていて、現在でも隔世遺伝で未だに枯れ葉剤が原因の障害(頭が大きかったり、体の一部がくっついていたり)を持つ赤ちゃんが生まれているという事をのんびり生きている日本でも知っていなくてはいけないと思いました。
【戦争証跡博物館】
WAR REMNANTS MUSEUM(Bảo tàng Chứng tích chiến tranh)
住所:28 Vo Van Tan, Ward 6, District 3, Ho Chi Minh City
開館時間:7:30~12:00, 13:30~17:00
入場料:15,000VDN
公式サイト:http://warremnantsmuseum.com